今日で東日本大震災から3年です。

被災された方々にお見舞い申し上げます。

3年前の地震のあったとき、私は耳鼻科に行っていました。

花粉症がひどく、午後3時からの診察を病院の入り口で立って待っていました。

午後2時46分。

「あれ?地震かな?」と思っているうちに次第に大きくなって、いつもならすぐにおさまるのに、この時はさらに大きな揺れとなって恐怖を感じました。

病院の中ではカルテの棚がガタガタと揺れ、看護師さんが患者さんに「落ち着いてください!すぐに動かないでください!」と何度も叫んでいました。

外では通りの向こうにある和菓子屋さんのビルが、今にも隣のビルにぶつかりそうなほどユラユラとしていました。

どうしよう、もしぶつかったら下にいる人が危ない。

でも私自身、動くことも声を出すこともできませんでした。

幸い、ビル同士がぶつかることはありませんでした。

まず家にいる母に携帯から電話を掛けました。

まだその時は携帯がつながったので、安全を確認してすぐに主人・主人の両親にかけましたがもう携帯はつながらなくなってしまいました。

病院をでて、すぐそばにある従兄の果物店で電話を借りましたがやはり電話はつながらず、カレンのことも気がかりで帰宅することにしました。

カレンがいる部屋はタンスも3段で低く、テレビも低い位置・倒れて危険なものはないはずなんだけど・・・

駅前は人があふれていて、あちこちからサイレンや火災警報が鳴り、何が起きたのか分からなかったです。

家に着くと、置いてあったシクラメンが倒れ、寄せてあった戸がすべて中央にあり、クローゼットは開いていました。

「カレン、カレン!」呼ぶとこたつから不安そうな顔をして出てきました。

その後は余震が続いていたので、母の家に行き、みんなで一緒にいることにしました。

その頃やっと主人とメールでお互いの無事を確認しました。

テレビで見る風景は現実とは思えない光景でした。

これは本当のことなのか、本当に日本の光景なのか、これは何?東京は震度5から6だったみたいです。

私の周辺では被害と呼べるもの・被害を受けた人はいませんでした。

静岡の友達や大阪の友達から心配のメールをもらいました。

大阪の友達からはカップめん、ティッシュ、紙コップ、電池などが届きました。

ガソリンがなくなり、コンビニに食べ物がなくなり、祖母の家では計画停電にもなりました。

まるで嘘のような現実でした。

私にできることは福島市の復興イベントで演奏したり、被災地の特産品を買ったり、忘れないでいることです。

できることは限られていますが、継続することが大事だと思っています。

忘れない。

ずっとずっと忘れない。

被災した方々のこれからが穏やかで、安らぎの日々でありますよう祈るばかりです。